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白鳥復活!?
2002年12月1日の東北新幹線・盛岡−八戸間開通に伴い開設される八戸−函館間特急に、「白鳥」の愛称が使われることになってしまいました。詳しくはこちら。
これで、大阪−新潟−青森間の特急復活への道が完全に絶たれた形です。また、新潟にも愛着の深い愛称が取られてしまいました。ショックですね〜。まぁ遠い昔、初代白鳥は秋田−青森−鮫間を結ぶ準急列車だったので、長らくの復活とも言えますが…。
さらば白鳥
12月8日のTVニュースで、2001年3月3日のダイヤ改正での特急白鳥及び雷鳥の新潟乗入れの廃止が発表されました。それに代わりに北越が設定されます。「ついに来るときが来たか」といったところです。
白鳥は仕方ないにしても、雷鳥の新潟乗入れも廃止されてしまうとは…。まあ、北陸新幹線との兼ね合いもあり、遠からずそうなることは予想できたのですが。
これで、1985年3月の旧赤倉(名古屋)、旧あさひ→べにばな(仙台)に次ぎ、また主要都市(大阪、京都)との直通列車が1つ消滅(厳密には「きたぐに」があるが)してしまうことになりました。非常に残念です。多分青森、秋田いなほ、北越、長野みのりもそう長くないでしょう。
大阪から新潟を経て青森までを結ぶ日本最長の電車特急。車両には交直両用特急型電車、485系が使われる。
白鳥は、1961年10月に日本海側初の特急列車として設定された。当初はキハ82系気動車を用い、大阪−直江津−青森と、大阪−直江津−上野の2系統があり、直江津で分割・併合していた。
その後、1965年10月に今の運行形態となり、1972年10月の羽越本線等の電化で485系200番台(貫通型)が使われるようになった。その後、北海道仕様の1500番台や耐寒仕様の1000番台が使われるようになり、全盛期はグリーン車2両、食堂車を含む13両という豪華な編成で走っていた。また、福井−青森間の1往復が設定されていた時期もある。
1985年3月のダイヤ改正で青森から向日町(現京都)に運行担当が変更され、その際に食堂車が運用から外れてしまい、車両自体も時代を逆行してボンネット型が多く使われるようになる。翌年、上沼垂運転区に担当変更されたが、JR化を機にグリーン車を含む指定席はグレードアップ化され、塗色も青を基調としたデザインに変更された。
その後1997年のダイヤ改正で再び京都の担当となり、グレードアップ車両ではなくなってしまったが、今や希少価値の高い国鉄色のボンネット型車両(100番台)が主力となる。修学旅行等でまだ根強い需要があるためか、2両増結の11両で運転する姿も度々見かけた。また、車両故障の影響でごく希に583系での代走も見られた。
残念ながら伝統の長距離特急「白鳥」は2001年3月をもって廃止されてしまうが、機会があったら運行区間が変わってでも、ぜひ復活してほしいと思っている。
画像集
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乗車記
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